“ワーホリ経験を活かせる仕事”にこだわりすぎて人生失敗した話

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「ワーホリの経験を活かして働きたい」

僕は帰国してから、そう思いオーストラリアの永住権を本気で考えたり、海外就職も検討しました。

何をするにも「英語を活かしたい」、「ワーホリの経験を活かさないと」そんな気持ちがベースにあり、自分がやってみたいと思える仕事に出会えるまで回り道をたくさんしました。

短期離職2回、適応障害、5カ月の休職、そして退職してフリーランスの道へ。

2022年に帰国してからの2年間はそれなりに大変でした。でも今は、「ワーホリの経験を活かすことにこだわってやってきたことは間違いではなかった」と思っています。それも人生の糧。失敗したのは、選択の仕方でした。

この記事は、ワーホリ後の就職や、人生に悩む方向けに書いたものです。

同じような選択で迷っている人に届けばいいと思っています。

永住権を目指した理由、そして伏線

3年間のワーホリを終えて2022年に帰国したとき、正直に言うと帰国したくありませんでした。

でも30歳になる直前で「就職するなら今しかない」という焦りがあって、帰国を決めました。今思えばこれも思い込みだったんですが、当時はそれが”合理的な判断”に見えていました。

帰国後の目標はすぐに決まりました。

永住権を取ってオーストラリアに戻る

そのために何が必要かを調べると、職種ポイントが有効で、情報系の大学卒+システムエンジニア経験2年のある僕には、エンジニアに戻るのが最短ルートでした。友人からの誘いも重なって、フリーランスエンジニアとしてキャリアを再スタートしました。

数字で見れば、合理的な選択でした。

でも一つだけ、知っていたことがありました。エンジニアの仕事が、苦手だということ。

エンジニアの仕事に戻ることにもやもやを感じつつも、でも自分には「これしかない」、「永住権のためなら頑張れる」と思って無理やり自分を納得させました。

永住権を取るという目標が消えていった

システムエンジニアになったはいいものの、やる前から感じていた自分の適性のなさを実感する日々でした。

また、いまいち頑張り切れないことも多く、「本当に自分はオーストラリアに戻りたいのだろうか…」「永住権は必要なのか?」と考える時間も多くなりました。

毎日ただただ辛いし、やり続けたところで自分がシステムエンジニアとして働き続けるイメージが全くできませんでした。

それからというものの、何のために仕事しているのか?なんでこの仕事をしているのか?と考えるようになり、遂には「永住権を取る」という目標すら消えていきました。

その時、わざわざ苦手なシステムエンジニアという仕事を続ける意味もなくなってしまいました。

適応障害になる

結果から言うと、システムエンジニアに戻るという選択が間違いだったということにすぐ気づかされました。

フリーランスエンジニアとして最初の現場に入って、4カ月で現場を離れました。ただ、この時は現場が自分に合わなかっただけ、他の現場ならできる。そう思っていました。

現場を離れて2カ月は国内を放浪した後、フリーランスエンジニアに戻り、8カ月ほど働いてから収入が不安定になりだしたことで正社員として就職することを決めました。

しかし、1社目に入社するも、わずか7カ月で退職。そして、2社目に入社して半年後、「適応障害」と診断されました。

電車の中で過呼吸を起こしてしまい、職場の最寄り駅に着いた時には足が動かなくなりました。職場に泣きながらもう働けませんと告げて、5カ月休職。

そして、その年の11月に退職しました。

精神が壊れてしまった理由

休職中に今の考え方のまま一生過ごしたら危ないと思い、カウンセリングを受けることにしました。

そこでは過去の自分の行動を振り返りました。適応障害になった原因はいくつかありましたが、核心は一つだったと思います。

「目的」に執着して「適性」を無視した

永住権という目的が先にあって、そこから逆算した結果がエンジニアでした。でも「自分がエンジニア職が自分に向いているか」は、考えていませんでした。頑張ればなんとかなると。

苦手でも、努力すれば乗り越えられると思っていました。帰国後TOEICを2カ月で250点伸ばしたし、海外での苦労もいろいろ乗り越えてきた。「やれば何でもできる人間」という自己像が、自分の中にありました。

それは間違いではなかったものの、自分が頑張れる条件を分かっていなかったのです。

「楽しめる苦労」と「ただの苦痛」は別物

ワーホリ中に乗り越えられた苦労には、共通点がありました。しんどくても、その状況を楽しんでいました。英語が通じなくてもがく時間も、慣れない環境で自分を試している感覚があって、どこかおもしろかった。

日本では経験できないことを、当たり前のように経験し、本当に毎日が楽しかったからです。

エンジニアとして働いた時間には、それがありませんでした。毎日ただ苦痛。タスクに向き合うことも、職場に行くことも。苦労に楽しさが一ミリもなかったとき、僕の耐性はあっさり崩れました。

苦労は嫌いではありません。でも、楽しめる苦労じゃないと、僕は続けられない人間でした。それを認めるのに、適応障害になるまでかかりました。

本当は、合理的じゃなかったのかもしれない

今になって正直に思うことがあります。エンジニアを選んだのは、本当に合理的な判断だったのか、と。

永住権を獲得するためのポイント稼ぎを有利に進めたいという判断は合理的でした。でも、その奥に「オーストラリアに戻りたい」という強い感情があって、その感情を正当化するために合理性を使っていたのかもしれません。

ワーホリは失敗だったのか

帰国後、そんなに苦労するんだったらワーホリ行く意味ないんじゃない?と考えた方もいらっしゃるかもしれません。

3年間のワーホリは、今でも人生でよかったことのひとつだと思っています。英語力、異文化への耐性、自分の力で生きていく経験。あの時間がなければ、今フリーランスとして仕事を続けることもできていなかったと思います。

失敗したのは、ワーホリの経験にこだわりすぎていた自分の考え方でした。

「経験を活かせる仕事に就かなければ」、「ワーホリに行ったからには」と縛られたことと、「戻りたい」という感情を合理性で包んで、適性を無視した選択をしたこと。ここが失敗でした。

ワーホリそのものに後悔はありません。

ワーホリを考えている人へ伝えたいこと

よく、海外に行くと人生が変わるとか、価値観が変わるとか言われますよね。確かにそれは間違いではないと思います。実際僕もオーストラリアで価値観が変わりましたし。

場所が変わっても、自分自身はそうそう変わるものではありません。しかし、SNS見るとワーホリ行って人生激変させた人もいるし、自分もそうなれるはずと思う方もいると思います。

でも一方で、僕のような苦労をする人間もいるっていうことは知っておいてほしいです。

それでも僕は、将来に不安があったとしてもワーホリに行きたいなら行った方がいいと思っています。

それは僕自身、ワーホリに行って後悔したことが1ミリもないし、行った人で「行かなきゃよかった」と後悔する人も見たことも聞いたこともありません。自分自身の意思で選択し、行動したからです。

ワーホリで得たものは、今も僕の仕事と生き方の土台になっています。

一つだけ付け加えるなら、選択する前に「自分の適性」を確認してほしいです。目的から逆算するのは大事ですが、その過程で「自分がそれを楽しめるか」、「合っているのか」という考え方をを外すと、どこかで壊れます。

少なくとも、僕はそうでした。

まとめ

  • ワーホリ帰国後、永住権取得を目指してエンジニアに戻ったが、適応障害になり休職・退職した
  • 失敗の本質は「合理的に見えた選択が、実は感情的な執着から来ていた」こと
  • 苦労に耐えられるかどうかは、その苦労を楽しめるかどうかで決まる
  • ワーホリは失敗ではなかった。失敗したのは、その活かし方だった

このブログでは、僕自身の失敗と回り道を踏まえながら、Upworkでのフリーランス活動やキャリアについて書いています。同じような経験をした方、これから海外やフリーランスを考えている方に、少しでも参考になれば嬉しいです。

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